南東三階角部屋日記

四十代前半女性のひとり暮らし日記です。記録としての投稿がメイン。

12月22日

母の妹である叔母が、ステージ4の末期がんであることを知った。

 

その事実は母からの電話で知った。すでにがんは全身に転移しており(原発巣は肝臓が疑われている)、治療の術はない。医師からは、短くて余命1ヶ月、長くて2、3ヶ月と宣告されているそうだ。

 

先日、実家に帰った際にがんの事実を私に話そうかと思ったそうだが、叔母によく懐いていたことを知っている母は私がショックを受けるだろうと思い黙っていたそうだ。母の気遣いは有難いものだけれど、いずれわかる事なんだからもっと早く言ってほしかった。

 

 

久しぶりに会う叔母はほんとうに痩せ細ってしまい、一回りも二回りも小さくなってしまった。食事は普段通り摂れているが食は細く、食べ物を流し込んだあとにとても苦しそうな表情をする。左手は水が溜まり腫れており、お腹も同様にだいぶ膨らんでいた。身体の痛みもあるようだが一言も苦しいとは言わず、時折笑顔を見せてくれた。

 

叔母は知的障がい者である。おそらく、知能は小学生低学年程度ではないだろうか。叔母自身、自分が末期がんであり死の淵に立っているということは、もしかしたら理解していないのではないかと思う。

 

こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、死の恐ろしさがない状態であることは、ある意味幸せなことなのかもしれない。しかし、それはあくまで仮定であって、叔母自身が自分の病気をどの程度理解していて、またどのような心持でいるかは私にはわからない。

 

叔母とは、一時間程度の時を過ごした。背中をさすったりする以外は、いつもと変わらず普段通りおしゃべりをするなどして過ごした。ばいばい、また来るね。そういって別れたが、私自身、これが今生の別れだと思っている。

 

死はだれでも平等に訪れるものだし、これから先、多くの人と別れることになるのはわかりきったことだが、目の前にいた人がこの世からいなくなってしまうことに対して底のしれない恐ろしさを感じる。できることなら目を背けてしまいたいが、人の死を受け止めずして生きていくことはできないので、辛くても目を背けることなく事実を事実として受け止める覚悟は持っていたい。

 

 

「〇〇おばちゃん、バドミントンやろうよ~!!」

そんなことを無邪気に言っていた頃を思い出して、叔母と別れたあとは涙が止まらなかった。過ぎたことは決して巻き戻せないが、せめて苦しみが少ない、穏やかな日々を送ってほしい。私にできることは、そう願うことだけだ。