ぐっすり眠ったら元気が出てきた。
昨晩食べたステーキ肉のお陰かもしれない。天気がよかったので、気分転換も兼ね今日は外出。
悩み事(今は仕事のこと)があるときは高いところにのぼりたくなるもので、今日は弘法山古墳公園へ行った。ここは春の桜の時期は有名で、お花見するにはうってつけの場所。しかし其のころは花粉症がピークを迎えておりとても出掛ける気分にならないから、いつも車で近くまでいって遠目から見ることにしている。今時期は花も新緑もないさみしいものだけれど、松本の街なみを一望できる場所なのでいつ行っても楽しめる意外と穴場なところである。
オレンジという映画のロケ地でもあるそう。
←南松本周辺 松本駅周辺→
松本もずいぶんとマンションが増えたなぁ。地方ではあるが田舎過ぎず住みやすい場所なので、松本は今後人口増になるでしょう。
手前の木々が桜の木。4月にはこれがいっせいに咲き、ピンク色のお山になります。きれいです。
薄川(すすきがわ)。
私が勝手に「松本の東京タワー」と呼んでいるNTTの電波塔。そんなこと言ったら東京都民に失礼か。
石室はこの下にあるとのこと。
弘法山古墳を後にし、ふたたびドライブ。久しぶりに山辺方面まで。「旧山辺学校校舎」が目に入ったので、この機会にと思い見学することに。
入口には信州の民芸品 道神面のモニュメントも。宮田嵐村氏の道神面ですね。
長野県宝に指定されている「旧山辺学校校舎」。観覧料 おとな200円です。
日本の建築大工によって建てられた、洋風要素を取り入れた「擬洋風建築」。レンガの壁ではなくレンガ風だったり、
一見、洋風な外観に見えるが、よくよく見ると和風な造りだったり。
八角塔。手すりの部分がお寺ぽいのは、どうやら校舎建築前はお隣の兎川寺を仮校舎として使っていた名残?なんだそう(だったはず。違っていたらすみません)。頭についた方角の文字がなんともかわいい。
こちらは裏側。正面に比べて簡素な作りなのは、ローコスト化を図ったためである。松本城近くの旧開智学校はハイカラで豪華な造りであるが、片や旧山辺学校は見た目簡素で、また、当時窓はガラスではなく障子貼りだったことから「障子学校」と呼ばれていたそうだ。不名誉な呼ばれ方をされていたんだな・・と思いきや、後の学校建築において、旧山辺学校の建築方法が低予算で学校を建てる際の参考になったとのこと。
ちなみに旧開智学校は建築費用が高くつき、しばらくは地元民に苦労を強いていたのだとかで。
資料館館内は学校建築の紹介を主軸に地域の暮らしや歴史が展示されており、なかなか面白かった。あまり人気のない場所だろうが(実際にわたし一人しかいなかった)、自分がいま住んでいる地域の歴史を掘り下げるのも楽しいことだなと思った。
あんまり館内の写真を載せないほうがいいかなと思うので、厳選したものだけにしておく。撮影禁止はされていないが、一応モラルとして。
当時の生徒が書いた絵。うまい。
昔のくらしを再現したもの。華美な装飾はなくとも、必要な道具だけがそろっていれば充分だったのだろう。私も暮らしは質素でいたいほうであり、昔の人々の暮らしは参考になる。
米ともみ殻・藁くずを分離する機械。唐箕(とうみ)と呼ぶそう。唐とつくのは中国伝来物だからだろうか。これと同じ物がむかし家にあった。なつかしい。
様々な道祖神も展示されている。男女が寄り添う合う双体像、庚申像(たしかこの名前だったはず)、馬頭観音など。
そういえば美ヶ原温泉には子孫繁栄を祈願する「道祖神祭り」が毎年9月に行われている。男根を象ったご神体が登場するかなりインパクトのある奇祭で、松本に住んでいるからには一度は行ってみたいと思いつつ、なかなかそのタイミングをつかめない(というより忘れている)。今年は行けるだろうか。
入山辺地区は「貧乏神送り」という行事もあるそうで。知らなかった。
藁でこさえた馬。
おもちやおはぎを塗りたくられた道祖神。こんな習慣もあるんですね。おもしろい。
展示パネルの写真に写ったふすま戸が、実家の昔のふすま戸と同じ絵柄だった。こんなところで懐かしいものに遭遇するとは。
石盤と石筆。明治時代に学校教育に取り入れられた文房具とのこと。
書ける書ける!けっこうしっかり書けます。書いたら布で消します。簡単に消せます。
その後、浅間温泉付近をドライブしてから帰った。今度、浅間温泉の日帰り湯に入りにいこうと思う。