南東三階角部屋日記

四十代前半女性のひとり暮らし日記です。記録としての投稿がメイン。

5月23日 黄色いふうせん

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わたしの宝物箱には小さい頃から大事にしているものや、家族からの手紙、古い写真などが詰め込まれている。今日、久々にその宝箱をひらいてみると、差出人がわからない手紙が混じっていることに気が付いた。

 

 

小学生の頃、村の祭の一環で、子供たちが風船に花の種と手紙をつけて空に飛ばすイベントが行われた。毎年5月の新緑の季節に行われ、長野県内でも知っているひとはそう多くない景勝地から数多くの色とりどりの風船が大空を飛んで行った。その時の記憶はぼんやりとだが残っていて、遠くのひとに届きますようにと願いながら風船を手から離したのを憶えている。

 

祭は私が小学4年生ころで打ち切りとなってしまったが、それまでの間に何回か風船を空に飛ばしている。ある時は風船を飛ばした翌々日くらいの夜に電話がかかってきて、県外の初老の方から「花の種をありがとう」とうれしい言葉をいただいた。ある年はまったく連絡はなく、風船はきっと誰にも見つからない場所に落ちてしまったのだろう。

 

 

そのうちのひとつ、私が小学四年生の頃に飛ばした風船は、茨城県の女性のもとに降り立った。差出人の住所や名前はわからないのだが(おそらく封筒に書かれていたはずだが、残念ながら封筒は手元にない)、筑波山ちかくの明野町というところに住んでいるという。私と同い年のお孫さんがいて、風船と花の種の入った封筒は梅の木に引っかかっていたそうだ。明野町平成の大合併で今は筑西市となっており、グーグルマップで確認してみるとたしかに筑波山の近くには明野町という地名があった。

 

手紙には丁寧な字で、花の種のお礼や私を気遣うやさしい言葉がしたためられていた。その文字の端々から、送り主の人柄がなんとなく頭に浮かぶ。当時、この手紙を受け取った私はきっと喜んだだろう。その証拠に、今の今までこの手紙を手元に残しているのだから。

 

女性が当時何歳なのか、今もご存命なのか、今となっては知るすべはない。世の中には本当にたくさんの人がいて、そのほとんどが一生接点を持たぬままそれぞれの人生を歩んでいくことになるが、ほんの一瞬でも自分と誰かの人生が交錯したことは、偶然とはいえ尊く愛おしい出来事であると思う。