南東三階角部屋日記

四十代前半女性のひとり暮らし日記です。記録としての投稿がメイン。

絵とわたし

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その道からは外れた。

 

小さいころから絵を描くことが好きだった。広告の裏、教科書の隅、自由帳、アスファルトの上。描けるところがあればいたるところに落書きをしていた。子供時代は実に自由気ままで、大人が考えもしない世界をいとも容易く作り上げてしまう。私は空想好きな女の子で、その世界を完成させるために紙は絶やさず、ペンを握り続けた。

 

年齢が上がるにつれ、私は自分の技量のなさに嘆いた。その反面、まわりの子は技術に長けていた。陰影のつけかた、遠近感の出し方など技術面においてとても優れていた。本物と見間違うかと思った彫刻を披露されたとき、私は嫉妬した。私にはとうてい真似できない、そして頑張ってもその技術を習得できないと涙をのんだ。

 

ある程度のセンスと訓練があれば、技術的にはすばらしい絵は描けるだろう。基礎ができていれば応用だってきく。努力をすれば皆が褒める絵を描けることは理解していたけれど、どうしても私には馴染めないと感じていた。美大に行って広告代理店に勤めていれば、もしかしたら今頃はアートディレクターにでもなっていたかもしれない。

 

社会人になってからも絵は描き続けていた。大きなキャンバスに油絵で描くとかそんな大袈裟なものではない。A4やB5のコピー用紙に、ただただ自由に心の赴くままペンを走らせた。たまに絵の具で色を付けることもあったが、そのほとんどがモノクロの線画だった。絵の傾向としたらアングラ方面だろうか。その当時はそっち系の友人が多く、メインストリートから外れた音楽イベントなどでたまに絵を描いたり、作品を発表していたりもした。病んでいた時期ではあったけれど、同時に心は自由な時代でもあった。

 

社会人年数を重ねるにつれ、私は絵からは遠ざかっていった。描こうと思ってペンを握るが筆が進まない。描いても自分の絵にむかついてペンを投げた。そんなことが数年間も続いたある日、私にはもう絵は必要がないのだと悟った。

 

私にとって、絵は心を開放するための手段であった。心のなかのもやもやや毒を他人にぶつけるのではなく、汚れない白紙に投げつける。誰かを傷つけることなく自分の感情を始末できる、今思えば非常に合理的な方法だと思う。ストレス発散にサンドバッグにパンチを繰り出し続けるようなものだ。

 

ただ、自分の感情をコントロールできるのは、決して絵だけではないと気が付いた。仕事に打ち込んだり、散歩をしたり、音楽を聴いたり、ドライブに出かけたり。自分が心地いいと思えるテンポで生きていると、気が付けばストレスからは解放されていた。もう自分の中の毒素を紙上だけにぶちまけなくてもいいのだと。

 

付き合いの長い友人からは、よくもったいないと言われる。絵を展示したり、媒体に発表すればいいのにとよく言ってくる。まぁ、その言葉の半分には社交辞令が含まれているだろうが、私は開口一番「それはやらないよ」と答えている。

 

私がいままでに出し続けた「毒」は、決して人様に見せるものではないと考えている。それはそれで魅力的なのかもしれないけれど、少なくとも今の私には自分の絵を公表したいという気持ちはない。ただし、考えは日々変動するものだ。いつか出してもいいかなと思う日が来るかもしれない。その時まで、私はこの「毒」を箱の中に閉じ込めておくことにしよう。

 

もし私が結婚していて孫もいたら、見せてもいいかなと思っている。「おばあちゃん、若いころってパンクだったんだね!」なんて驚かれるかもしれない。

 

 

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