南東三階角部屋日記

三十代中盤女性のひとり暮らし日記です。記録としての投稿がメイン。

6月13日 雨の山清路

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本日は久々に山清路へ。

 

 

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犀川は本来深いエメラルドグリーン色の川であるが、今日は雨の影響で茶色く濁っていた。これはこれで幻想的で美しい。川霧がいいかんじ。

 

山清路は四季を通して美しいが、なかでも私が一番好きな季節は秋だ。紅葉が川面に映るのだが、それがとてもきれいで。

 

 

 

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生坂村は残念ながら線路は通っておらず、また高速道路からも外れているため、ちょっと辺鄙なところだ。村民の足はもっぱら村営バスか自動車となる。国道19号があるため車の往来はとても多い。コンビニはこの村に一軒もないので行かれる方は注意を。

 

 

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山清路橋。昭和5年完成、平成9年修繕工事完了。老朽化のため重量制限がかかっており、2トン以上の車は通れない。山清路橋はまわりの景色と相まって、ほんとうに素晴らしい眺めである。

 

 

 

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もともと、山清路は峡谷であった。水深の深い川の様相になったのは、昭和32年に平ダムができたからである。

 

 

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ここ山清路は信濃十名勝のひとつらしい。初めて聞いた。ネットで調べると、昭和初期に新愛知新聞の読者投票で選ばれたのが由来だそう。

 

 

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展望台からの眺め。左の道路が国道19号で新山清路橋。右側の道路は八坂・大町方面へ抜ける道。

 

 

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水神岩の真横には、廃墟となった店が今も取り壊されずにそのまま残っている。子供の頃、たぶん私が小学校低学年の頃だろうか。たびたび訪れた食事処だ。若いお姉さんがひとりで切り盛りしていたと記憶している。この店で「笑ゥせぇるすまん」をよく読んでいたのだが、床屋で喪黒福造の鼻がぽろっと取れるシーンが出てきてトラウマとなってしまった。その他に猫が出てくる漫画も読んだのだが、漫画のタイトルを思い出せない。

 

 

 

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山清路1号洞門。

 

 

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この上が水神岩。

 

 

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水神岩方面からの眺め。手前が山清路橋。奥に新しい橋ができている。まだ通ったことはない。もう開通しているのかな。

 

 

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たぶん点かない電灯。

 

 

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昔の案内看板。

 

 

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崩落個所補修。足を踏み外したら犀川にどぼんです。

 

 

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犀川線開通記念碑。犀川線とは、ここから筑北村に抜ける道のことでしょうか。筑北村へ向かう途中の差切峡も景勝地です。

 

 

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昔、ここの水そのまま飲んだ記憶がある。よくお腹壊さなかったな・・

 

 

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身代わり地蔵がひとり寂しく碑の陰にたっている。どことなくさみしそうな顔をしていた。

 

 

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道路案内看板は撤去されずにそのまま残っている。かつて車の行き来があったことを思い起こさせるが、この道、この洞門を車が走ることは二度と訪れないだろう。

 

明治、大正、昭和と、山清路はどれだけの人の目を愉しませてきたのだろう。平成に入り誰の目にもほとんど入らなくなってしまった景勝地のひとつだが、数少ない来訪者に静かに喜んでいるのではないかと、ひとり考えながらこの地を後にした。

 

 

最後に。ここは車の往来が多く、また、高速道路なみにスピードを出す車やトラックが多いです(過去には死亡事故も度々起こっています)。行かれる方はどうぞお気をつけください。