かつて、善光寺街道の宿場町として栄えた、稲荷山宿を散策することにした。
姨捨駅と棚田を見た後の予定は特に立てておらず現地で気になったところへ行こうと決めており、観光マップで紹介されていた稲荷山宿の古い商家跡などが気になったので、次の行先は稲荷山宿とした。
まずは稲荷山蔵し館を見学することに。観覧料 大人300円。撮影許可をいただいたもののブログ掲載についての可否は確認しなかったので、写真は厳選したものだけを載せます。
この蔵し館は、幕末から明治期に生糸輸出業を営んでいたカネヤマ松源製糸の創業者宅を、復元・再生したものだそう。長野県はかつて製糸業が盛んであり、戦後産業が衰退するまでは、岡谷、上田をはじめとする県内各地に数多くの製糸工場があった。稲荷山は生糸や絹織物商いを中心に、長野県でも有数の商都として栄えたそうだ。
しかし、明治33年に国鉄篠ノ井線篠ノ井駅から西条駅間が開通し稲荷山駅ができると、稲荷山は駅から遠かったこともあり、衰退の一途をたどる。かつて繁栄を見せた稲荷山に「かつて」の面影が感じられないほど、ぱっと見た感じ今の街並みからは商都であったことは想像もできない。
それは稲荷山に限った話ではない。繁栄と衰退を経験した地域は全国に数多くあるし、時代の流れによって街並みや人々の暮らし方が変わるのは世の常である。そういった「かつて」を感じたくて、私はこの日、稲荷山に惹かれて来たのかもしれない。
蔵し館は母屋、土蔵、倉庫(資料館)で構成されており、母屋のほうでは昔の家の雰囲気を味わうことができる。
高山陣屋でも見ました釘隠しがあります。
明治時代のお札などの資料も。
戦時中に発行されていた有価証券。
商家で使われていた道具類。
天井には立派な松の木の梁。
障子紙のやぶれたところに、こんなにかわいい切り絵が。
二階にも上がってみることができる。天井は低めで昔のおうちの良いにおいがする。
ここがすごく居心地がよくて、誰もいなかったことを口実に畳の上に座りすこしぼんやりしていた。風が障子戸をかたかたとゆらす。この感じ、なんだか懐かしい。
SINGERの足踏みミシン。昔の工業製品は細工の先々までもが美しい。今の製品にはない芸術的な美しさがある。
明治時代の火消ポンプ。当時、最新鋭の消化器だったそう。
資料館のほうには様々な生活品、商業用の道具などが展示されている。民族資料館的な場所はわくわくする。こんなことを引き合いにだすのはいささか滑稽かもしれないが、現代アートなど私にはよく理解できないし楽しみ方もいまいちわからないものの、生活に寄り添った道具類には現代アート以上の興味と面白味があると感じる。要するに、私は暮らしに根付いたものに価値を感じるのだろう。現代アートも味方を変えれば興味を持てるのかもしれないけれど、今はさっぱりわからない。
町割りを記した図。これすべて手書きですよね?文字書き間違えたらどうしていたのでしょう。整然と記された書物等、グラフィカルな美しさを感じます。配色もいい。
赤い文字のほうは色が退色したのではないだろうか。赤色は退色しやすいと聞く。整然としたさまが美しい。これ見るだけでごはん3杯はいけます。
レントゲン検査機。かっこいい。
レコード音源を聴くことができます。20曲程度のなかから、イヨマンテの夜、白い花の咲く頃、青い山脈、長崎の鐘を選曲(どれも好きな曲です)。午後のまどろみのなか、心にすっと染み入る昭和歌謡を味わう。なんとも贅沢な時間。
ひとしきり資料館を堪能したあと、稲荷山の街歩きをすることにした。車は蔵し館の駐車場にとめておいて良いとのことで、ありがたく使わせてもらった。
ここ稲荷山は重要伝統的建築物保存地区に指定されているそうで、かつて商家として使われた家々が今も取り壊されずに残っている。そのほとんどが空き家か民家であるが、古くは江戸時代、明治時代からその姿をとどめている貴重な文化的建造物として楽しむことができる。
この日は街歩きガイドマップを手に入れたので、地図を見ながら散策をした。
今は普通の民家であるはずだけれど、かつては商売などしていたのでしょうか。屋根瓦から突き出た煙突がかわいい。
立派な土蔵を併設した旧呉服商。どっしり重厚感あり。だけど木々の格子は繊細。
江戸時代の建物ってかんじがする。
今ではほとんど見かけない土壁。
旧醸造蔵。この蔵の前を通ると薬っぽい匂いがした。ここから匂ったのだろうか。
廃屋。それでも外見はきれいに整っている。
塩・醤油商を行っていた商家。
この家の先に旧稲荷山宿本陣があったのだけれど、人が住んでいる気配があったので写真は撮らなかった。
旧カクイチ田中商店。大正モダンなつくり。かっこいい。窓の格子が凝っていてかわいい。窓上の街灯もいいですね。
陶器店。こういうおうちも好きです。何かに似てるな~とずっと考えていてやっと思い出した。アンパンマンにでてくる「かまめしどん」だ。
総タイル貼り。主張しすぎない配色が素敵です。この家はリフォームでタイル張りにしたのかもしれない。
菅谷医院。今もやっているっぽい。手前のタイル張りの平屋も素敵だけれど、何と言っても奥の医院がすばらしい。
コンクリート壁でしょうか。一見武骨なように見えて正面には繊細な細工が施され、縦長の窓も素敵です。大正時代の建物だそう。
矢野骨董店。外壁はモルタルかコンクリート、壁面一部は木造。なんだか昔の学校みたいな雰囲気。
なまこ壁の土蔵もあります。
ホテル杏泉閣はつい最近倒産しました。コロナ倒産と言われてはいるけれど、それ以前に負債額は相当あったそうで。こういった街のシンボルも杏泉閣に限らず、今後次々に姿を消してしまうのだろうなぁ。
廃屋となった家。茅葺にトタン屋根をかぶせている。
かつて料亭だった松葉屋。
繁栄の先の衰退。
古い家々や街並みを好き好む私ではあるが、衰退後の姿になんとも言えない寂しさ感じてしまう。その感情を「ノスタルジーである」と言うのもどこか儚げな夢を見ているようでロマンを感じるが、ほとんどの人が見向きもしなくなってしまったという現実のフィルターを通すと、衰退という事実とそれに伴う切なさの方が勝ってしまう。
古い家々の間を多くの自動車がかすめていった。きっとその多くは「かつて繁栄した稲荷山」の姿を知ることなく過ぎてゆくのだろう。
その4に続く。