南東三階角部屋日記

四十代前半女性のひとり暮らし日記です。記録としての投稿がメイン。

12月9日 初めて知った名前

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寒くて布団から出られない月曜日。

 

布団から出るだけなのに、躊躇してしまう寒さ。これからもっと寒くなるから覚悟しておかないとなぁ。

 

 

 

昨日実家に帰った際に、新しく建てられた墓石を見てきた。母が前々から建てることを計画しており、念願かなってようやく建てたものだ。背の高い和型だと掃除が大変との理由で、墓石は背の低い洋型デザインに。和型を見慣れた私からするとちょっと違和感を覚えたが、それもそのうち慣れるだろう。ここが新しい祖父母の眠る墓だと思うとなんだかうれしかった。

 

墓石を建てた母は「これで肩の荷がおりた」と言っていた。昔からよく般若心経を唱えたり、毎朝一日も欠かさずお仏壇にお線香をあげる母にとって、墓石を建てないことに後ろめたさを感じていたのだろう。もしくは、自分たちに起こる近い将来のことを考えてだったのかもしれない。こんなことを言うのは気が引けるが、病気の父はいつ死んでもおかしくない状況にいるし、母もあと10年もすれば後期高齢者だから、そういうこともきっと見据えているはずだ。

  

お墓にはまだ遺骨は納められておらず、今週末の魂入れを持って一連の儀式は終わる。残念ながらその日は車の修理が入っており参加できないが、年末の休暇に帰って手を合わせてこようと思う。

 

 

そういえば、墓誌には祖父母と曾祖父母の名前が彫られていたのだが、そこで初めて曾祖父母の名前を知った。いつもひいばあちゃん、ひいじいちゃんとしか呼んでいなかったから名前を知ったときは軽く衝撃を受けた。こんな名前だったのかと。曾祖父は享年58歳(だったと思う)、曾祖母は享年79歳(のはず)との情報も初めて知った。曾祖父にいたっては写真が一枚も残っていないので顔すらわからない。意外と自分の祖先のことは知らないものだなぁと思った。

 

小学生の頃に曾祖父はどんな人だったか祖母に聞いたことがある。本当か嘘かは今となってはわからないがけっこう気性の激しい人だったそうで、ちゃぶ台返しなんてこともしばしばあったと聞いた。うちの家系は比較的穏やかな性格が多いのだが、そんな人もいるのだと思うとちょっと人間味があって面白いなぁと思った。当時、ちゃぶ台返しされた人からしたら迷惑極まりないだろうが。

 

祖母が遺した古いアルバムには、若かりし日の祖母や祖父、子供たちの写真が大切に保管されている。曾祖母の写真もいくつか残っている。やさしそうな人だ。祖母はきりっとした顔つきで、祖父もまた小柄ながら格好良い。美男美女とまではいかないが、うちの家系はみな割と良い顔をしているように思う。この日記でも度々登場する亡くなった大叔父さんもアルバムのところどころで写っており、若いころはとりわけてハンサムで驚いた。しかもハイカラな人で、洒落た帽子にアコーディオンを持った姿はモデルの様にも見える。けっこうモテたんじゃないかな。

 

 

 ちなみに昨日の日記の似顔絵ですが、あれはあれで間違いではないし私の特徴をよくとらえたものではあるけれど、実際はちょっと疲れた顔をしています。すみません、かわいく描きすぎました。