私はとても感覚的な人間だと思う。
逆を言えば論理的な思考が不得意で、かつ論理的な話の組み立てや喋りができない。論理的思考ができない故、社会人生活を送る上ではとても苦労をするし、自分はある意味はみ出し者であると自覚をする。
素晴らしい山の景色を見たときに、論理的思考ができる人は、何故山が美しく思えるのかを考察し理路整然と言葉で説明できるが、私のような感覚的な人間は「きれいだなぁ」としか浮かばない。論理的思考者と感覚的人間のどちらが良い悪いという話ではないが、前者のほうが圧倒的に社会人としての力が強いと思う。
一方で、感覚的な人間は自分の感性を基軸に物事を選び取る力があるから、自分が直感で選択したものに対して過度にストレスを感じることは少ない。
今朝は9時頃に目が覚めた。コーヒーとオレンジとブルーベリーを食べ、掃除洗濯を片付ける。昼食をとったあと特に行く当てもないがなんとなく人の多いところへ行きたくなり、本屋をぶらついた。
普段私はあまり本を読まない性質なのだが(集中力が続かない)、まったく読まないというわけではない。佐藤康志、中島らも、群ようこなど、少ないながらも好きな作家はいる。そのような私が時折無性に本を読みたくなることがあり、今日がまさにその日であった。
本屋では旅の本コーナー、日本文学コーナー、雑誌コーナーなどをまわり、そろそろ帰ろうかと最後に足を運んだ新刊コーナーでピンとくる一冊を見つけた。シンプルな白い表紙につばめの絵があしらわれた、沢木耕太郎著「旅のつばくろ」だ。
私はそのタイトルに惹かれた。見た瞬間に本を手に取り、レジへ向かった。感覚的に、今、私が求めているのはこの本であると思った。車に乗り込みすぐさまページを開き何章か読んだがどれも素敵な話で、蒸し暑い車中で読みふけってしまった。
沢木耕太郎の本を読むのは今回が初めてである。二ヶ月ほど前の話になるが、夜も遅い時間に会社の先輩と話す機会があり、その時に先輩が薦めてくれた本が沢木氏の「一瞬の夏」だった。だから沢木耕太郎という作家がいることは知っていて、そのような経緯もあり「旅のつばくろ」を咄嗟に手に取ったのかもしれない。
この本はJR東日本の車内誌「トランヴェール」の連載記事をまとめたものだ。だからこの本にも旅にまつわるエッセイが詰め込まれている。読んでいると旅情を掻き立てられ、旅に出たい気持ちで心が騒ぐ。私自身、旅行に行くようになったのはごく最近のことだが、旅先で向き合う自分の感情というものは、生活拠点であるこの8畳のアパートでは決して味わえない側面や面白さがあると思う。それは沢木氏にとっても同じではないかと、このエッセイを読んで思った。
旅に出るのはそう難しいことではない。近場でもかなり遠くでも、その一歩さえ踏み出してしまえば身体は自然と目的地へと向かう。私もそろそろ旅をしたい。