稲荷山より車でおよそ20分、戸倉上山田温泉街をぶらりおさんぽ。
戸倉上山田温泉は千曲川沿いにある、長野県では比較的規模の大きい温泉街。開湯100年を超える歴史ある温泉街で、50以上の源泉があるそう。コロナ対策のためこの日は街歩きをするのみと決めており湯に浸からなかったのはちょっと惜しかったが、街並みを堪能できたので良しとする。
とはいえまったく湯につからないというのも味気ないので足湯につかった。姨捨と稲荷山で歩きまくったのでちょうど良い足休めになった。
カラコロの湯付近に馬がいました。
硫黄のにおいがけっこう強い。少々熱め。
温泉街には新世界通りという区画があり、スナックや飲み屋などが立ち並んでいる。こちらは温泉地の娯楽・慰安場所として歴史伝統ある温泉街(区画)と隣り合ってはいるが切り離されており、昭和感あふれる色とりどりの看板が温泉街の呑みどころとしての雰囲気を演出している。
左を向いてもスナック。
右を向いてもスナック。「ほろよい銀座」の響きが良いですね。お店それぞれの店名もまた昭和感満載。新しさや清潔感はないような雰囲気だけれど、こういった通りや街並みは逆に人間味や親近感を感じる。
スナックは会社の飲み会の二次会などでたまに連れて行ってもらったりしたが、洒落たバーよりもむしろ興味が持てた。ひとりで入るにはけっこう勇気はいるが・・
たぶんお土産屋さん。
お肉屋さん。タイルの配色は規則性があるようでない。そこがまたいい。
しばらく街歩きをしていると、すごいものが視界に飛び込んできた。あれは一体何なんだ?!好奇心が私の歩を早める。早足で行った先は、この温泉街で一番の大きさを誇っていた「信州観光ホテル」の廃墟であった。
昭和26年創業の信州観光ホテルは、もともとは小規模な木造の旅館だったそうだ。それが高度経済成長の波に乗り増改築を進めた結果、温泉街でもひと際目立つ巨大温泉施設として成長。しかしその増改築が裏目にでて、多額の借金を背負うことに。そして平成9年に破産。
破産からすでに20年近く経っているというのに解体作業は中断している模様。
あとで調べて分かったことだが、ここは廃墟マニア垂涎の地であるそうだ。ネットで調べると廃墟探訪ブログなどで紹介されていた。勿論、廃墟に入ることイコール不法侵入なので決して入ってはいけない。
幽霊は出ないけどヘビはでるよ!不法侵入すると捕まります。
解体のための重機がぽつんと。
こうやって見ると、付け足し付け足しできたのであろう痕跡がわかる。今は見るも無残な姿形であるが、全盛期はどのような顔をしていたのだろう。高度経済成長期時代にタイムスリップしてみたい。
温泉の壁画でしょうか。地中海のイメージ?廃墟となったこの施設の外観もどことなく地中海にありそうな風貌をしている。
客室があった場所のよう。布団やカーテンなども残っており、かつての姿を想像するにはそう難しくはない。
蓮の葉の絵?下は信州の山々かな。
温泉街の景観をよくするためにもこの廃墟ははやく取り壊してしまったほうが良いと思う反面、時代の流れを感じる古いものは残っていて欲しいとも思う。それはとても欲張りな考えかもしれない。
信州観光ホテル横の山田館。たぶん閉業している。
韓国料理屋がけっこう多かった。光栄軒。
こちらは済州島。
飛行機は韓国から米国へ。流石にトランプ氏はいない。
こういうビジネスホテルって良いですね。古い温泉旅館もすきだけれど、旅行するときはだいたい宿泊料5、6,000円くらいのビジネスホテルに泊まっている。古いビジネスホテルに泊まるとなんだか妙に物さみしくなるのだけれど、それがまた旅情を湧き立たせてくれるので好き。
じゅうたんの館?
射的屋。今も営業しているそう。
けっこう長いこと歩いた。疲れを癒すため、再度足湯につかった。
アパートに帰る前、最後に千曲川をながめた。この川は新潟へ入ると信濃川と名を変え日本海へ。一瞬、この川の流れに沿い新潟市へ行きたい気持ちが沸き起こったが、しかしその方角とは反対の南のほうへと、元来た道をたどり家路へ急いだ。