朝、目覚めるときに一番最初に眺める光景。
映画 365日のシンプルライフで、主人公ペトリがマットレスを持ち帰った翌朝、ものすごい幸福感に包まれているシーンがある。今までにない感情だと彼は言う。物のありがたさを身をもって実感している彼の姿は、まるではじめて愛を知った人間のようだった。
最近、自分はとても幸せだと思うことが多くなった。洗濯物が日光で干されている光景を見るときや、炊きあがったごはんのにおいにをかいだだけでも心が穏やかになる。そんな幸福感は特に朝目が覚め、部屋の白い壁を眺めるときに感じる傾向が強い。
平日の朝は「今日も仕事か」とちょっと憂鬱な気分になることが多いから幸福感はあまり感じないのだけれど、休日の朝、目覚めたときの幸福感の値は高くなっている。今までの生活ではこのような幸福感は感じたことがなかった。ひとり暮らしを始めて、尚且つ物を減らすようになってからその値が上がったように思う。
物が減ったことが直接の理由ではない。おそらく物を減らしたことで「~しなければならない」という未来への不安から解放されたからだろう。物を減らすことで所有物の管理を簡略化し、掃除を楽にし、時間を有効活用できる。頭もクリアになり、私にとってはメリットばかりだった。そうして幸福感を感じやすい身体になっていった。物が少ないことで不便だと思うことは特にない。ないならないで知恵を使い、代用する。少ない生活をすることで生活力も向上した。
以前の私は、自分で勝手に不幸だと思っていた。五体満足だし、定職に就き少ないながらも収入はあるし、両親や弟だっている。それなのに自分は毎日不幸だとぼやきながらある時は世の中を恨んだし、またある時は同僚の昇進を妬んだし、沢山の物を持っていたにも関わらず「私には圧倒的に物が足りない」と念仏のように唱えながら生きてきた。そうして自分の根暗な性格がだんだん嫌になっていった。
でもそれは自分だけがそう感じていただけの話。物を減らす=物事や思考をすこしだけ変えることで幸福の感度を上げ、心穏やかに生きることができるのだと経験によって証明された。
幸福の感度は人それぞれ違うし、幸せの定義や解釈の仕方、物事のとらえ方も多様だ。物が多くても幸せな人はいるし、逆に物が少なくて自分は不幸だ、不自由だと感じる人もいるだろう。置かれた環境も境遇も一律ではないから、皆それぞれ幸せの感じ方が違ってくる。
私が物を減らそうと思った一番のきっかけは、仕事への取り組み方を変えたかったからだ。仕事に集中するために減らそうと決意した。一年前の話だ。昨年は業務多忙で月に80時間の残業をしていたから一時期はモチベーションがけっこう下がったものの、仕事に取り組む姿勢はだいぶ変わったように思う。だからなのだろう、私には大きなチャンスがいくつも巡ってきた。28さん、この仕事やってみない?方々から声がかかる。良い変化だ。
ただ、私にとって仕事はとても重要な位置づけではあるけれど、そこだけに幸福を見出そうとは思わない。仕事も大事だし、私生活も大事だ。仕事だけが生きがいだなんて私には無理な話。私生活あっての仕事、だからこそ両者に幸福を感じられるような生き方をしたい。
夕飯、牛肉とごぼうの煮もの。私の得意料理。
明日になれば味が染みこんでいるだろうから、朝ごはんが楽しみだなぁ。幸福度がまたひとつ上がった。